会長挨拶・声明

2019・20年度日退教の役員が決まりました。

さる6月7日、日退教第48回定期総会で19・20年度役員が次の通り、選任されました。2年間よろしくお願いいたします。

日本退職教職員協議会

会長 竹田邦明

2019・20年度日退教役員

2019・20年度日退教役員

 

 

 


第47回衆議院選挙についての日退教会長見解

 2014年11月26日

日本退職教職員協議会

会長 西澤 清

衆議院が去る21日、解散されました。安倍内閣はこの日の臨時閣議で、衆院選を12月2日公示、14日投開票と決めました。安倍首相は記者会見で、自らの経済政策への評価と消費増税1年半先送りが争点だと強調しました。

■首相、経済政策を前面に

首相は記者会見で、今回の解散を「アベノミクス解散」と名付け、「アベノミクスを前に進めるのか、止めてしまうのか、それを問う選挙だ」と自らの経済政策を争点の前面に押し出しました。先立つ18日の記者会見では「消費税率10%への引き上げを1年半先送りする。税制に重大な変更を行った以上、選挙をしなければならないと考えている」とまず増税先送りを説明していましたが、各党が増税延期を争点化しなくなったことから、アベノミクスの評価を前面に出し、解散を正当化しようとしています。

これは、安倍首相の解散権の乱用(増税先送りは現消費税法の景気条項を発動すればすむ)といえますが、以下の点において政権自体が追い詰められていることでもあります。

1 沖縄県知事選で大敗したこと。今後の国政、地方選への影響が大きいこと。

2 7月~9月期のGDP伸び率が前期に続き、マイナスであり、消費税の増税を断念せねばならなくなったこと。このこと自体がアベノミクス失敗を認めることになること。

3 「政治とカネ」の問題で、女性閣僚が辞任するとともに、第1次安倍内閣の末期にも問題になった「安倍首相の政治とカネ」問題が週刊誌に取り上げられ問題化しそうであること。

4 平和・憲法問題(日本版NSC設置、特定秘密保護法施行、武器輸出三原則の廃止、集団的自衛権行使容認)で国民に信を問うことをせず、今後の安全保障関係法の議論で支持率の低下が予想されること。

「いまのうち解散」「むちゃ振り解散」といわれるなかで、安倍首相は、「アベノミクス解散」と呼び、アベノミクスの継続の信任が争点と言っています。しかし継続はすでに破綻したものを更なる国民の犠牲によって繕おうとするものです。例えば、その中には私たちにとって重要なGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の年金積立金の運用があります。約130兆円の運用についてこれまでの枠組みを大きく変えて、資産の50%を国内外株式で運用することを基本とすることに変更されました。リーマンショック後には株式で約8兆円の損失を計上しており、リスクが高まります。

それだけでありません。安倍政権のもとで、閣議決定による平和憲法(憲法9条)の完全空洞化、日本版NSCや特定秘密保護法の施行、武器輸出三原則の廃止などの「戦争への道」に日本を引きこもうとする動きを具体的しています。

さらに私たちの年金、医療・介護保険などの社会保障制度も後退し、社会的格差が拡大し、子どもの貧困も問題になってきました。

■選挙で「安倍政権にNO」を

 今回の選挙はつぎの点で重要です。

1 立憲主義にたち、憲法9条の空洞化をやめ、日本国憲法の理念(平和・人権・環境・共生など)を守り、集団的自衛権行使容認を始めとする一連の「戦争をする国」への道を許さず、安心して豊かに暮らせる社会を作り上げる理念を持った人を国会に送る選挙である。

2 新自由主義政策を推進し、社会的格差を大きくし、貧困層を増大させた自・公政権を許さない選挙である。

3 東電福島第一原発の事故後の原因究明はすすんでいない。依然13万人に及ぶ県民が避難生活を余儀なくされている。しかし、政府はこの現実を直視せず、川内原発をはじめ、新しい安全基準を満たし安全性が確認されたとする原発から再稼働をすすめようとしている。脱原発社会実現に向けた選挙である。

選挙の結果次第では、自公による長期政権の可能性も否定できません。結果的に国会運営がしやすくなり、自民党や安倍総理の悲願である、安全保障関係の整備、「教育の再生」、そして憲法「改正」をさらに後押しさせることになります。圧倒的大差で県知事選を勝利した沖縄は翁長知事勝利の母体となった「ヒヤミカシ ウマンチュの会」が母体となり、すべての選挙区で自民党の議席を許さない選挙を展開するとしています。沖縄に連帯する意味でも勝利しようではありませんか。


 

第20回日退教組織活動交流集会決議

2014年10月17日

 

「沖縄県知事選勝利 辺野古新基地建設を止めよう!!」

 

昨年12月、仲井眞弘多沖縄県知事は、県民との公約をかなぐり捨て、辺野古埋め立て申請を承認しました。安倍内閣は、「集団的自衛権行使容認」を閣議決定した7月1日に米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設をめぐる閣議決定を行ない、翌2日、キャンプ・シュワブ沿岸域の立ち入り禁止水域の拡大を官報に告示しました。防衛省は閣議決定のあった7月1日にキャンプ・シュワブ内で建物の解体工事を始め、その後、海上抗議行動を制圧するためのブイの設置、そして8月18日には掘削調査を開始しました。さらに10月10日には新たに3カ所での掘削調査を実施する業務の一般競争入札の公告を始めるなど、県民の新基地建設反対の声を無視し、知事選前の実績作りを強行に進めています。

これに対し、オール沖縄で基地建設に反対している仲間は、7月27日「沖縄『建白書』の実現をめざし未来を拓く島ぐるみ会議」を発足させ、現地辺野古ゲート前での監視、資材搬入阻止、座り込み、そして海上抗議活動を続けてきました。沖縄県・高退教の会員のみなさんも連日行動しています。日本政府・防衛省防衛施設局は、キャンプ・シュワブゲート前に敷設されたギザギザの「殺人鉄板」が象徴するように、弾圧とも言える、県民への危険も顧みない強引な手法をもって、新基地建設に向けた作業を進めています。

一方、建設に反対する集会は、8月23日のキャンプ・シュワブゲート前に約4000人、9月20日の辺野古浜には約5500人が駆けつけ開催され、10月9日には県庁周辺を人間の鎖で囲む「止めよう新基地建設!10・9県庁包囲県民大行動」が、3800人の参加で行われました。来る11月1日には、那覇市で1万人集会が予定されています。

8月末の県内世論調査では80.2%が「移設作業は中止すべきだ」と回答しています。沖縄県民の民意は明らかに「普天間基地即時撤去、辺野古新基地反対」です。

基地の危険性は、周囲の人口が多いために生じることではありません。人口が少なくても、危険である本質は変わりません。東村高江周辺へ新たに建設されるヘリ着陸帯6カ所は集落を取り囲むように配置され、最も近い民家まではわずか約500メートルしかありません。訓練場の一部返還の代償として、高江集落にこれだけの負担を強いることは許されません。

国土の1%にも満たない沖縄に米軍専用施設の74%を押し付け、本土は米軍基地を「沖縄問題」と矮小化するようなことがあってはなりません。

日退教は、「沖縄と連帯する日退教沖縄交流団」を5次にわたり組織し、沖縄県・高退教の仲間とともに時には辺野古や野嵩ゲート前の行動に参加し、交流と学習を深めるなど、「沖縄問題は、日本の問題である」として運動にとりくんできました。

こうした中、10月30日公示、11月16日開票の日程で沖縄県知事選が行われます。「島ぐるみ会議」は、「オナガ雄志(タケシ)」前那覇市長を県民代表として推薦しています。翁長さんは「辺野古の海を埋め立てさせてはいけない。絶対に阻止しよう。」という候補です。

日本の持つ深い差別構造の中で、沖縄は苦しんできました。日本の基地政策が、米国の安全保障政策を絶対視する中で成立しており、とりわけ沖縄はつねに日米安保体制のスケープゴートにされ続け、安倍政権が進める日米同盟の強化も同様に沖縄を「踏み台」にしたものになっています。この状況をかえなければなりません。

美しい沖縄は日本の宝です。すでに沖縄では、これまでの返還後の街づくりなどで、基地による経済効果よりも、観光や、平和産業の方が経済は伸長するという結果を出しています。これからの沖縄の平和な発展のためにも、そして日本の民主主義のためにも今次知事選は重要です。

私たちは、仲間と連帯を強め、全国の隅々から沖縄に声を送り、便りを寄せ、総力をあげて選挙戦を戦い抜こうではありませんか。

以上 決議します。

2014年10月17日

第20回日本退職教職員協議会組織活動交流集会参加者一同


「集団的自衛権」行使容認の閣議決定に対する抗議声明

2014年7月1日

 

自衛隊が創設されてちょうど60年となる今日7月1日、安倍政権は「集団的自衛権」の行使を容認する憲法解釈を、閣議決定しました。

集団的自衛権については、これまで「憲法9条の下において、許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛する必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」との憲法解釈が定着しており、歴代政権も堅持してきました。

武力行使の新たな3要件に基づき、「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、(集団的自衛権を含む)必要最小限度の実力を行使するのは自衛の措置として憲法上許容されると判断するに至った」として、従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認するとしています。

集団的自衛権を行使するということは、中立国から敵対国になることであり、戦争に参加すること以外のなにものでもありません。これまで戦争で「命」を失うことのなかった私たちが、「命」を賭けて戦う選択をするということで、国のあり方の根幹に関わる問題です。

安倍晋三首相は閣議決定後の記者会見で、「いかなる事態にあっても国民の命と平和な暮らしは守り抜いていく、私にはその大きな責任がある」とし、集団的自衛権の行使は「他に手段がない時に限られ、かつ、必要最小限度でなければならない」と説明し、集団的自衛権行使を容認すれば「抑止力が高まり、戦争に巻き込まれなくなる」としました。その場でAP通信の記者が「国防政策の大きな変化。総理は日本をどのような国にするというビジョンを描くのか。これが普通の国になるということなのか。平和を守るためにはもしかしたら犠牲を伴うかもしれない。国民はどのような覚悟が必要か。国民の生活に何か影響は出るか。」と質したのに、安倍首相は全く答えず「海外で活動する自衛隊員は私の誇りだ」と抽象論に終始しました。

 日本はこれまでも戦争に巻き込まれず、曲がりなりにも平和を維持してきました。それは米軍の抑止力があったからというより、憲法の歯止めがあったからです。集団的自衛権行使を認めれば、日本を敵視していない国を自衛隊が攻撃したり、日本が攻撃の標的になったりしかねません。「国民を守るため」という首相の説明と裏腹に国民の命は危険にさらされ、国際社会における平和国家としての信頼も損なわれます。

 閣議決定はされましたが、もちろんこれで終わりではありません。実際に自衛隊が活動を実施するには根拠となる国内法が必要だとして、法案の作成作業を開始し、準備ができしだい国会に提出するとしています。関連法案の審議が秋の臨時国会から始まります。

わたしたちは「教え子を再び戦場に送るな」の決意のもと、戦争への道を選択しようとする安倍政権の戦争参加をすすめるあらゆる立法と政策に反対し、現職とともに、平和フォーラム・「戦争をさせない1000人委員会」に結集して、全力で運動にとりくんで行くことを決意します。

日本退職教職員協議会


退教14年度(第43回)定期総会挨拶

表へ出よう! 社会に参加しよう! 街に出よう!

 日本退職教職員協議会

会長 西澤 清

全国からご参集の会員の皆さんご苦労様です。また、退職者連合阿部会長、日教組小西副委員長をはじめ来賓の皆さん、また、お忙しい国会の日程を繰って参加下された那谷屋参議院議員をはじめ日政連議員の皆さん大変ありがとうございます。心からお礼申し上げます。

 

さて、日退教は2005年から「運動体へ脱皮しよう」を合言葉に運動を続けてきました。そしてきびしい状況を前に、今日 私は皆さんに、「表に出よう!社会に参加しよう!街に出よう!」と呼びかけたいと思います。

 退職者組織は、昔は「サロン」でした。退職して、文字通り晴耕雨読、旅行をしていれば済む人生でした。

しかし、2004年の「年金改革」から変わりました。年金から所得税がとられるようになったのです。「社会保障」から年金が外されるという大きな出来事でした。私たちが在職時から積立ててきたお金(財産権)である年金から所得税をとる。しかもその理由が「不公正税制の是正」であり、しかも、あるナショナルセンター労働組合(連合だと阿部会長)の要求でした。この時から、黙っていては、老人は骨までしゃぶられると私は感じ、ここに居られる阿部会長と共に憤慨したものでした。

 

そして、「少子・高齢化」社会に入り、攻撃は激しなり、ますます運動体としての行動が大切になりました。

高齢者医療制度反対はその第1号の運動でした。日退教が地公退に問題提起し、地公退が憲政会館で最初の集会をやり、私たちは連日国会へ押しかけました。

運動には、論理が必要です。あの時私たちは、「年齢差別」と、花にたとえて「鉢植え」よりも「寄せ植え」と主張しました。

 

安心して暮らせる社会や高齢者への攻撃を許さない今のたたかいの論理は何でしょうか。3つ申し上げたいと思います。

まず、少子・高齢化と一括して言うのは誤りだということです。

現象として言うならともかく「労働者の悪条件や社会不安が少子高齢化社会を生んだ」というのは明らかな間違いです。

 

高齢化は、私たちの運動の成果です。私たちが現役の時、年金や医療制度の改革、共済組合や、退職手当の改革などに力を入れてきました。その結果としての社会保障が充実し、医療の向上もあって高齢化社会は成し遂げられたのです。

一方、少子化は、80年代からの「規制の緩和、非正規労働者の増大」「労働者の賃金引き下げ」「年金・医療の改悪」で現在や将来への不安感が増したことなのです。これは明らかに新自由主義政策の失敗の結果です。

少子化と高齢化はそれが生みだされた原因が違うのです。

 

次に申し上げたいのは、年金でいわれる「世代間の対立」です。これも間違いです。誤魔化しです。

私もそうですが、ここに居る皆さんも同じだと思います。私が生活をしている範囲には老人も若者もいます。男性も女性もいます。赤ん坊も学生もいます。そして、皆が少ない収入で助け合っています。私の子どもや孫、近所のおばさんやおじさんと対立はありません。悲しみや喜びを共にする同じグループです。私はこれを「人間のグループ」と呼んでいます。

これに対して、若者だけのグループがあります。そのグループは、私たちが、お金をかけて子どもを育て、学校にやり、勉強をさせ、働けるようになると私たち「人間のグループ」から引き抜き働かせます。そして儲けます。歳をとる、あるいは病気や障害を持つと私たちのグループに帰してよこします。おカネをかけて治療し面倒をみるのは私たちのグループです。

そうです。若者だけのグループは「企業のグループ」です。「人間のグループ」と「企業のグループ」との対立はあります。それを誤魔化す論理が「世代間の対立」なのです。

 

3つ目は、安倍流「積極的平和主義」です。これも間違いで、誤魔化しです。

安倍首相は、解釈改憲により自衛隊に武器を使用させ、集団的自衛権を行使し、日本を「普通に戦争ができる国」に変えようとしています。これを彼は「積極的平和主義」に基づくもの言っています。

そもそも、平和主義とは、「戦争・武力行使・暴力に反対し、あらゆる紛争に対して、非軍事・非暴力で、平和を追求し維持する考え方」を言い、日本国憲法はその理念でできています。

「積極的」平和主義とは、1942年にアメリカのワインシー・ライトが提唱し、ノルウエーのヨハン・ガルトゥングが定義した「単に戦争のない状態(消極的平和主義)だけでなく、貧困・差別など社会構造から発生する暴力のない状態」を言います。

これが世界に通用し、こうした社会を目指して、ヨーロッパの社会民主主義政権では実践がすすめられています。

 

国際的に通用している本来の意味を誤魔化すために安倍首相は、苦し紛れに海外では二枚舌を使っています。

つい最近、マスコミは安倍首相の「積極的平和主義」について、その内容の異なる2つの報道をしました。

一つは、6月6日に安倍首相は、ローマ法王に会い、「アフリカ開発会議の枠組みを使ってアフリカ支援をやる」と表明し、法王は「アフリカの弱者も健康な暮らしを送れるようにする取り組みが重要」と応じたと報道したものです。これは本来の「積極的平和主義」です。

もう一つは、6月1日のシンガポールでのアジア安全保障会議で安倍首相が述べたものです。それは、「積極的平和主義に基づき日本政府が4月に決定した防衛整備移転三原則に基づき、武器輸出を通じてASEAN各国との装備協力を進める」というものです。

正反対の「平和主義?」です。安倍首相の取り巻きの御用学者の中には、ヨーロッパ的平和主義を「ドレイの平和主義」とさえ言う人もいます。

 

基本的に、安倍流積極的平和主義は「平和憲法の枠内で戦争をやる」ことなのです。だから戦争とは正反対の「平和」を口にするのです。論理矛盾でそもそも無理です。

それでも戦争への道をすすもうとすれば、民主主義を否定し、独裁的に強行することしかありません。

ナチスの正式名称は、本質と異なり「国民社会主義ドイツ労働者党」であったことを私たちは知っています。そして、その突撃隊は反対党に公然と暴力をふるい、それを社会的格差と貧困に喘ぐ大衆が支持しました。

今、東京の街頭では、在特会などの右翼が、ナチスのハーケンクロイツ旗や日本軍の旭日旗を掲げ、排外的なヘイトスピーチをわめきながら行進していることが日常になっています。全国に拡散しています。

 

では、私たちは何をするか。

311原発事故の直後、私は千葉県柏で学習会の講師をやりました、大勢の母親が参加されました。その最後にある母親が「私たちにできることは、結局、署名や集会・デモなのですかねぇ」と言われました。私は、その言葉の中の悲しみを受け止めながらも「そうです。今、必要なのは署名であり、集会なのです。ことの本質を見抜く学習をすることです、そのことが今では活路なのです。大切なことです。」と申しあげました。

 

日退教の皆さん、今日改めて申し上げます。表へ出ましょう。社会に参加しましょう。街へ出ましょう。日退教は、地公退を通じて昨年、平和フォ-ラムに入りました。レイシスト達の排外的な街頭デモには、「のりこえネット」に参加して、心ある人たちと連帯し運動をすすめています。

私たちにはお金がありません。だから、現役に勝る運動量で仲間と肩を並べる必要があります。

 

今、3つの事をお話しました。

「高齢化社会」-すなわち私たちの存在は、私たちのかっての運動の成果である。

私たちのグループに世代間対立はない。

積極的平和主義とは差別や貧困をなくすことである。

さあ確信を持って 表に出ましょう。社会に参加しましょう。街に出ましょう。

それは第1に、自らの健康のためなのです。そして、子どもたちの将来の幸せのため、大きくはこの国の閉塞的な状態を打ち破り平和な安心した社会をつくるためなのです。

 

日退教会員の皆さん。本日の総会で、提案される活動方針を検討し、確信を持って運動をすすめられることを期待します

ありがとうございました。

2014610日)


情報社会の一員に 日退教いざ

 

日本退職教職員協議会 会長 西澤 清

  退職して一日自宅にてテレビを見ていると「バカ」になるのではないか―(悪い言葉ですが、他に良い言葉が思いつかなくて)・・・ 東京での「世論操作」は、朝5時半の「ニュースショー」に始まります、その番組でも、30分刻みで同じ話題の繰り返し、ほぼ並行して何局もショー番組を放映、それから一日中どこかの局で「ニュースショー」が展開され、御用評論家が、国民の味方のふりをして、体制翼賛のコメントを繰り返すのです。こうした宣伝の中で、国民は洗脳されて批判精神や先取の気性が取り除かれていくのでしょうね。ゲッペルスは「国民を啓蒙(ママ)し、政策実行の下慣らしをするのだ。目的を見失うことなく、あらゆるプロセスにおいてサポートする。いわば会話にBGMを提供するようなものである。そうすると、不人気な政策もやがて人気を得るようになり、国民の断固とした支持のもと、政府は難しい決定を実行に移せるようになる。プロパガンダに優れた政府は、大衆の支持を失うことなく、必要な政策を実行できるのだ。」と言っています。 3・11東電福島原発事故では、「少量の放射能は体に良い」「少量の放射能をかぶったホウレンソウは安全でおいしい。家では家族でバリバリ食べている。」と発言した学者先生がいた。3・15の原子炉爆発では、テレビキャスターの「白煙が上がっていますよ」に対して「ベントしたのだから水蒸気が出ているのでしょう」といって、映像を見たキャスターの「どうも違うみたいです」で、はじめて「爆発のようですね」といった高名な原子力評論家がいました(これは、九ブロ総会参加に向かう羽田空港で私は偶然見ました)。用心、用心。

人は、物を認識するためにはその五感から身体にとりいれます。しかし、事象との間には媒体(メディア)が必要です。媒体は、直接感覚に訴えるものか(暑い、寒いなど)、活字なのか、映像なのかなど様々あります。また、暗黒知などもあります。 この媒体をだれがやるのか。教職員の現役、退職者で作られている日教組・日退教こそその役割を担うべきだと常々考えておりました。 また、情報の多い社会だからこそ「正しい情報」が必要です。そのためには、精選された情報の発信源が必要です。日退教がそれを担い、様々な事件、事象について見解を発することは重要なのでしょう。

日教組が、「高度情報社会におけるコンピュータ教育」研究会を立ち上げたのが90年代の初頭です。海老原治善、峯井正也、増田祐司、佐伯胖などの先生と共に議論をすすめましたが、なかなか各県には受け入れられてもらえず大変でした。ある県の書記局にお邪魔したら部屋の片隅に討議資料が山積にされており、そこでは学校へのコンピュータ導入反対運動を方針化していました。教研でも「情報」は、図書館分科会と一緒でした。笑い話があります。私が86年に日教組に行き書記局の中にコンピュータ委員会をつくってもらって書記局の電算化をすすめたいとして議論始めました。その時、古株の三役の方から「導入反対の委員会」だと思っていたといわれました。私の行く前には反対の委員会があったそうですし、90年代の半ばまでコンピュータ・ワープロは絶対に使わないという人もおりました。

長々とこんな事を書いたのは、私たちが「油ののった」現役時代―バブルの80年代には学校にはコンピュータは形もなく、一部の物好きのものでした。だから、私たち年齢以上の方がキーボードになじめないのは当然だということをお互いに認識しようとするためです。

ですが奇妙なことに、私が日退教事務局長になった時、事務局長の要件に「パソコンに詳しい人」というのがありました。実際に局長になった時は、古いワープロが一台あっただけで首をひねったことを思い出します。しかし、不便ですから何とかしようと予算15万円を捻出し、秋葉原で中古のノートパソコン4台、ネットに必要なルーター・ハブ・コードなど仕入れ、事務局内ランとメールアドレス(jtu-obc@ocn.ne.jp)をつくりました。obcは、これで良かったのかなと思っています。知恵をください。印刷機はただの物をもらってなんとか文書作成をしていました。各単会メールで連絡できれば通信費が安く上がるのですが、各県には対応する体制がなく毎年「ネットワーク化」を方針化していますが、まだ実現していません。これからの課題です。

そんな事情で、当初よりホームページをつくりたいと考えていました。しかし、とても予算がなく、私が日本教育会館の館長の時に作ったホームページが1ページ2万円、これも当時では大変安価でしたが、その予算もなく「タダで作る」ことを模索していました。最近は良いソフトもできてきましたが、当時は手間が大変で日程を作り出せませんでした。

日退教各県にホームページがない訳ではありません。当時探した中で素晴らしかったのは鹿児島県退教のホームページです。2001年に石川準四朗(事務局次長)さんが作られものです。左上に昴の星座、右に車輪の回転する木製の玩具の汽車を配したカラフルなものです。この草稿を書くのに覗いてみました。まだ生きていますが、残念ことに2002年の3月27日に更新されそれ以降は手を加えられていません。リンクはまだ生きていますから、一度覗いてみて下さい。(鹿児島退教の皆さんもう一度活力を与えて下さい。お願いします)

さて、日退教40周年を機会にして、「40周年記念行事予算」の中でようやく日退教もホームページを立ち上がる事になりました。これを生かすか殺すかはこれからです。会員の皆さまの沢山のご意見・情報をお寄せ下さい。これで日退教会員のすべてが一体となった連帯と友情を基礎にした運動をすすめる新たな基盤を築くことができました。役員もいっそうの研鑽が必要だと身を引き締めています。(幸い隣は教育図書館、上は、教育総研、日教組ですから)   ホームページは更新が命です。絶え間ない更新と提起に心がけて行きたいと思います。そうした仕事を激励する意味でも毎日朝起きたら日退教のホームページを開いてください。 そして、お叱りと励ましを下さい。それを糧にまた一歩日退教が運動体として前進できることを祈っております。